里山長屋からの便り vol.4『あたたかな住まいのなかから考えた』


冬枯れの風景の中に佇む里山長屋

冬枯れの風景の中にたたずむ里山長屋

私が暮らす里山風情の残る地域は、夏は緑あふれる場所となりますが、冬は逆に枯れた風景一色になります。窓の外に目をやると、そこは一面枯れ木と枯れ草以外見えず、みずみずしい感じは一切ありません。それでもこの枯れた絨毯の下には、都会の固さと冷たさとはまた違ったあたたかさが隠れているようです。

日本における季節に対する感性は、そうした「枯れた」風景にも情緒を慮る感覚をもちます。冬はなにもないのではなく、春をまつ生命の静かな胎動を確かに抱えているのでしょう。

さて、筆者はいま、断熱も蓄熱もしっかりとした、比較的暖かな我が家の室内からこの里山の風景をながめているわけですが、視線と意識は窓ガラスをぬけて、その先の草地、その向こうの山まで続いています。体はあたたかな安全な場所にあって、意識だけが外にある、という状況は確かに心地よく、安全な感じがあって好ましい、と思います。
この季節になると、住まいの熱環境をいかにあたたかく確保するか、という議論がことさら大切に感じられます。世の中は断熱、気密を充分確保するという議論に傾いていて、それはそのとおり、と思います。

だけども、です、、、。あたたかければそれでいいのか、、、、とも思うのです。

四季がしっかりとある日本の自然のなかで暮らしてきたひとびとの自然観は、言うまでもなく、「ひと×自然」が混然一体となった感性がDNAのなかに組み込まれています。現代の思考方法のもととなっている西欧の草原と荒れ地を背景に育まれた感性や思考回路とは違うことは和辻哲郎の「風土」論をもちださなくても、自明でしょう。

けれど、断熱気密論は技術論でありながら、この西欧的な感性のなかで語られていることが多いように思います。それは当然で、自然を客体化してその原理を抽出して、そこを対処すれば解決する、という現代の思考方法は、それはそれである意味正しいと思います。建築の環境工学を専攻してきた筆者にとって、それはその通り。
しかしながら、技術的、物理的要求はとりあえず、どんな建物になるか、ということにはあまり言及しません。とにかく、熱が漏れない方法を現在の知見を総動員して実現しろ、といいます。どんな意匠の住まいになるか、は温熱環境を理解していない設計者の怠慢である、とまで言われかねないのです。

施設系の建築物は、前稿(里山長屋からの便りVol.3~住まいの温熱環境を科学的に理解する時代)でも言及しましたが、ある特定の目的をもって使用するものですから、そのエネルギー消費量や快適性を最適化し、最大の利便性、利益性を確保するのは当然でしょう。しかしながら、「住まい」という建築はそうした施設系建築物とは決定的に違います。住まいはある特定の機能だけを実現する場ではありません。自然と対峙するシェルターであると同時に、時には適切に外界と応答を繰り返しながら維持していく場でもあり、ひとが着る服の延長であったり、健康を育む場であり、風景であり、暮らしの思想を表現する場であり、云々。なにせ一筋縄ではいかないのです。

断熱気密性だけで住まいというものを規定しようとすると、途端に天の邪鬼的にやめてほしい、、、という気持ちがわき上がってきます。断熱材を厚くすればよい、というような単純な技術で住まいを論じることができるのだろうか?という疑問がいつもついてまわります。
断熱気密ばかりが一人歩きすると、家が閉じます。住まいの外側の状況に住まい手がうとくなります。地域の気候風土とともに歩む、暑さ寒さもある程度受け入れる、というような感性や住まい感、暮らし観のようなことが段々置き去りにされる気がするのです。

結局は省エネルギーな暮らしを実現すればよいのですから、そうした暮らしができるひとは必ずしも断熱を強要される必要はないでしょう。(世代をまたいで住まいを使っていく場合の温熱観の世代間の共有についてはまた別稿にて。)多様な方法論で省エネを実現していければよいと思うのです。そもそもこうした断熱論議をお手本にしている欧米に比べて、平均的な日本の住まいにおける暖房用のエネルギーはよっぽど低いのです。(北海道など北方地域は除いて)

技術的な議論はともすると、感性の部分を置いてきぼりにします。こと住まいの建築に関しては両方を同時並行的にバランスよく考えていく必要があるように思います。

暖かな室内から冬枯れの里山を望む

あたたかな室内から冬枯れの里山を望む

「住まいの温熱環境の課題は、もはや環境工学だけでは解決できないのでは?」

これは伝統的な木造家屋についての研究を長年されてきたある先生のお言葉です。
この言葉がいま、筆者の心に響いています。

自然との関係性を大事にし、合一を旨としてきた日本の住まい方の感性と、省エネ性がちょうどよくバランスする着地点を探りたいものです。

里山長屋がたたずむ枯れた風景を望みながら、そんな雑感を持った次第です。

kinei_yamada山田貴宏(やまだ たかひろ)

早稲田大学建築学科都市環境工学修了。清水建設、長谷川敬アトリエを経て、現在ビオフォルム環境デザイン室主宰。主に国産材と自然素材を中心とした、地産地消でかつ伝統的な木の家造りを中心とした建築/環境設計を行う。パーマカルチャーのデザイン手法・哲学を背景とした住環境づくりをめざす。建物とそれを取り巻く自然/コミュニティまで含めた幅広い環境と場づくりがテーマ。
著書:「畑ついているエコアパートをつくろう」(自然食通信社 共著)、「里山長屋をたのしむ」(学芸出版社)

◇里山長屋からの便り バックナンバー
・里山長屋からの便りvol.1『夏編』
・里山長屋からの便りvol.2『冬編』
・里山長屋からの便りvol.3『住まいの温熱環境を科学的に理解する時代』
・里山長屋からの便りvol.4『あたたかな住まいのなかから考えた』