夏の家を冬も使う
土佐の昔ながらの住まいははやり夏を旨とし、水と湿気への対応が主になっていて、台風に備えて屋根を小さく分棟にする傾向にあり、農家などの作業空間も縁側や軒の下で充分に機能するところから、住民の大部分が農家であった時代から、便所や風呂は別棟であり、部屋の温度差や床の段差は、あって当然、無くすことなどできないものでした。
そのような生活を受け継いでいる現在の暮らしでも、内外の生活圏は親しいものが多く、縁側の日だまりや、風通しは心地よいもので、特に隣近所との交流の場として利用し易いスペースとして大事なものになっています。
暖房よりは採暖
土佐の山間部ではその昔は囲炉裏が一般的でしたが、海沿いの平野部では囲炉裏はもちろん、炬燵さえなく、火鉢が普通の生活でした。それも来客のある時だけで、こと足りていました。ですからやがて現在の専用住宅を一棟で設計するような場合になっても、暖房設備の必要性よりは、電気炬燵や、ホットカーペットで暖を取り、エアコンを暖房に使う場合にもこれに頼り切ることは少なく、空気温度の内外差を少なくし、炬燵などの温かいものに触れていることで満足感を得る傾向があり、これを私も勧めています。
室内の空気温度を低めに設定する暮らし方は、省エネルギーであるのは当然ですし、暖かい土佐の人々には寒さのストレスが小さいせいか、北海道の人がたっぷりとした暖房をして、部屋の中ではシャツだけで暮らしているような、そのような満ち足りた暖かさに対する憧れはないように思います。
そのような感覚からでしょうか、一般に住宅の暖房設備は貧弱で、採暖設備に留まるせいか、北海道から来られた客人が、高知は寒いと言って早々に帰られると言う笑い話をよく聞くことがあります。現実に冬期には平野部でもー5℃くらいまで下がることもありますので、寒いはずですが、床の段差と同様、内外にわたって組み立てられている暮らし、特に農漁村部の田舎の暮らしは、温度差を受け入れる暮らしの方が現実的であろうかと考えます。
伝統の土佐和紙は静かに間仕切りを作る
伝統的な土佐の住まいでは障子と襖で部屋が仕切られ、冬は小部屋を作り、夏はこれらが全部開放されて、簾や簾戸になります。土佐には伝統製法の手漉きの土佐和紙が、原料の楮などの供給、手漉きの製紙の技術、製紙用道具を造る職人の三者が残っていると言われ、絹500年、和紙1000年と言われた、本格的な和紙が残っていて、これを使って建築をつくることが今でもできています。
本格的な和紙が入ると部屋の空気が変わってきます。骨太の木材や土壁や土間の三和土とともに、土佐和紙は冬の過乾燥をやわらげます。パルプや漂白剤の使われていない生成りの本晒しの和紙が空間の静かさと品格をつくります。
土佐の家では冬は障子と襖に何重にも区切られた寝室で眠ります。ここはそれなりに静かで暖かい場所になります。更にここでは老人たちは湯たんぽに暖められた寝床に入ることが昔から許されています。
昔ながらの土佐の住生活圏は内外にわたる
個人的な話になりますが、私は主屋が100年を越え、その他の棟も80年から40年程の農家に老夫婦だけで住んでいます。農作業用を兼ねた中庭を囲んで棟が6つに分かれていますが、日頃は居間用の離れ棟と寝室用の離れ棟の2棟と便所棟の3棟だけを使っていて、来客(年に数度くらい)の時だけ4棟目(主屋)と5棟目(釜屋)を使います。土蔵用の6棟目は専ら物置です。
老齢で夜中に1~2度トイレに起きますが、冬は寝床の脇に置いたドテラを羽織って一度月や星を確かめて、別棟のトイレに行きます。家内の自家用菜園と、私は雑草を刈り柿やミカンを収穫するのみで農作業はしていませんが、周りは斜面と段差だらけです。私は建築士ですが、この様な環境はここに住む以上、変えることのできないものですので、自分の対応力を鍛えて適合するのがよいと考えています。
エアコンは話題に出ますが、行動圏をカバーし切れませんし、棟毎に入れるのも負担ですし、今のところ温度差が体に良くないのではないかと言うことにして、来客用を含めて炬燵と扇風機のみで対応していてそれなりに満足しています。夏は2kmほど南の太平洋から吹いてくる海風が充分に心地よく、冬は裏山に遮られて北西の風が当たらず、この様な地域に根ざした素朴な暮らし方は許されて良いと考えています。
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山本長水(やまもと ひさみ)
略歴
1936年 高知県生まれ
1959年 日本大学工学部建築学科卒業
1959年 (株)市浦建築設計事務所ほか勤務
1966年〜山本長水建築設計事務所開設・主宰
2001年〜高知工科大学客員教授
1999年 日本建築学会賞(作品)県立中芸高校格技場
〃 作品選奨 (株)相愛本社
著書 土佐派の家PARTⅢ
・高知からの便りvol.1『土佐の夏の住まい』
・高知からの便りvol.2『土佐の冬の住まい』