アメリカからの便り vol.1


外へ一歩踏み出ることで、見えてきた自分と風景

— 環境と社会の「あいだ」を行き来しながら —

はじめまして。今回、「地域からの便り」に寄稿させていただくことになりましたオウミ アキです。

私は現在、サンフランシスコを拠点に、アーバンデザイナー/ランドスケープアーキテクトとして、アメリカと日本の双方で仕事に携わっています。これまでの仕事や生活を通して、環境と社会、人と風景の関係について考え続けてきました。

この寄稿では、三回にわたり、自身の経験や日々の暮らしを通して感じていることをお伝えしていきたいと考えています。第一回となる今回は、16歳で日本を離れ、アメリカへ渡った当時のこと、そしてランドスケープアーキテクチャーという分野に出会うまでの道のりについて書いてみたいと思います。

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第1部

外へ一歩踏み出した、そのはじまり

— 16歳の渡米と、ランドスケープアーキテクチャーとの出会い —

16歳のとき、私は日本を離れ、アメリカへ渡った。

当時の私は、自分の将来像がはっきりと描けないまま、社会が個人を後ろから押し出すように次の行き先が決まっていく、そのスピードにどうしても馴染むことができなかった。不安を感じていた、というほうが正確かもしれない。

一方で、音楽や映画を通して知ったアメリカは、自由に理想や夢を追いかけることが許される場所として、私の中で次第に憧れの存在になっていった。明確な目標があったわけではない。ただ、このまま同じ場所に留まっていては、自分が何者なのか分からないまま時間だけが過ぎていく。

そのことへの焦りと、同時に、どこかに希望を見出したいという感覚があったのだと思う。

渡米後も、自分の夢や理想がすぐに見つかったわけではなかった。ただ、常に何かを発見するために動き続けていた。興味の赴くままに分野を横断して授業を取り続け、大学を卒業する頃には三つの専攻を修められるほど単位が溜まっていた。

卒業を目前にして、メンターからランドスケープ・アーバンデザインの道へ進むことを強く勧められた。

建築でも都市計画でもなく、人と自然、都市と環境の「あいだ」を扱う分野。その言葉は、ばらばらに広がっていた私の関心を一本の線でつないでくれた。

大学卒業後は、アトリエ系の設計事務所に勤務し、実務の中でランドスケープが持つ力を学んだ。

新しくつくられる場が、人の行動を変え、環境を動かし、やがて社会のあり方にまで影響を及ぼすこと。その一方で、個人の感性だけでは完結しない、デザイナーとしての責任の重さも意識するようになった。

そうした経験から、私は再び大学院へ戻ることになる。

実務を経たからこそ、デザインを「つくること」ではなく、「なぜつくるのか」「それは誰のための環境なのか」という問いとして捉え直したかった。

自分が向き合うべきなのは、形そのものよりも、その背後にある構造や関係性なのではないかと感じるようになっていた。

大学院で出会ったのが、ランドスケープアーバニズムという考え方だった。

ランドスケープを単なる緑地や外部空間ではなく、都市や社会、インフラや生態系を読み解くための基盤として捉える視点である。

在学中、友人の独立に合流する形で、ランドスケープアーバニズムを実務として実践するためのオフィスの立ち上げに参画し、同時期に Stoss Landscape Urbanism に関わる機会を得た。

当時、この考え方は教育の場では盛んに語られていたが、それをベースに実際のプロジェクトを進める機会は限られていた。

そのような状況の中、独立したばかりの私たちに回ってくるような仕事はほとんどなく、こちらから試行錯誤しながら、この新しい切り口を試すことができる機会を探っていた。

その過程で、私たちは、通常は環境エンジニアが主導するような工業汚染地の再生に、ランドスケープの視点から関わることに一つの可能性を感じるようになった。

そうして最初に取り組んだのが、ボストン北部に位置する、かつて工業エリアとして栄えていたローウェルの工業跡地だった。

長年の操業によって土壌汚染と水質汚染が残されたこの敷地は、米国環境庁が最も汚染の深刻なカテゴリーとして指定する「スーパーファンド・サイト」に分類されていた。

そして当時、環境庁はこのような敷地に対する実験的なアプローチの提案を募集しており、私たちにとっては初めて、この考え方を社会に向けて試すことができる機会だった。

このようなスーパーファンド・サイトでは、莫大な費用をかけて除染を行っても、その後の土地利用が見込めないケースが多い。環境対策は「コスト」として扱われ、再生は経済合理性の議論に押し戻され、結果として長期間放置されてしまう――それが現実だった。

そこで私たちは、除染を単なる浄化作業としてではなく、敷地と周辺環境の循環を立ち上げるプロセスの一部として捉え直すことを試みた。

これまでは、このような汚染地が周辺環境の成長や再生を妨げる存在として扱われてきたが、見方を変えれば、汚染地があるからこそ、除染や公衆衛生を目的とした、通常ではなかなかたどり着けないファンディングにアクセスできる可能性もある。

そうした資金を、単なる浄化のためだけではなく、周辺環境の再生へとつなげることで、新しいポジティブな関係性と、そこから生まれる新たな循環をつくり出せるのではないかと考えた。

地下水の除染のために汚染水をポンプで引き上げ、浄化する過程で発生する水を、このエリアに残る小川や池、そしてそれらをつなぐ水環境やエコシステムの再生に活用し、新たな水の循環をつくり出そうとした。

さらに、池の周囲をグリーンインフラと一体化した公園として整備し、周辺住宅地からの雨水を引き込み、フィルタリングするレインガーデンやテラスと組み合わせることで、老朽化する都市インフラの代替となるオープンスペースを構想した。

インフラ整備とオープンスペース整備を別々の事業として扱うのではなく、一体のプロジェクトとして捉えることで、行政予算の効率化にもつなげることを目指した。

このプロジェクトを通して私は、環境問題と経済活動は必ずしも対立するものではなく、構想の仕方次第で一体化し得るのだという確信を持つようになった。

このプロジェクトでは、環境エンジニア、生態系学者、経済学者、地域活動のコーディネーターなど、さまざまな分野の専門家に加え、行政や地域コミュニティーとも対話を重ねながら進めていった。

その経験を通して私は、ランドスケープアーキテクチャーとは、図面を描く以前に、敷地の多様な要素を読み解き、それらの関係性を編み、その場の未来の風景を生み出すためのプロセスを構想する仕事なのだと実感するようになった。

この分野と出会い、学び、実践してきた時間は、私自身が環境とどう関わり続けるのかを問い続ける旅でもあった。

そしてその問いはいまも、静かに、しかし確かに続いている。

著者近影(AkiOmi)

オウミ アキ / AKI OMI
office ma代表・クリエイティブディレクター。16歳で渡米後、30年以上にわたり米国を拠点に活動。ハーバード大学デザインスクール修士課程修了。
現在は東京にも拠点を置き、ランドスケープを軸に都市・建築・開発を横断し、「間(ma)」の思想を手がかりに場づくりを実践している。
office maWEBサイト www.office-ma.com